神の刃物への考えは?

*この記事は、yahweh-ksrg様、Motoaki Channeil様の動画及びブログを参考にしております。

 

ヤハウェが刃物をどう考えておられるのか?です。

聖書の中で、嫌ってはおられないことが分かります。

 

ヘブル11章4節

信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。

 

創世記4章2節途中から5節途中

アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。

ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。

また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。

だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。

新改訳より

 

アベルとカインは、アダムとエバの息子たち。

弟のアベルは羊飼い、兄のカインは農民になりました。

 

書いていないですが、アベルが神へ、動物の血を流したいけにえをささげているため、刃物を使っていることが分かります。

 

アベルは、この先イエスが贖いで犠牲となり、血を流すことを認識していた、と考えられます。

 

子羊を、いけにえとしてささげており、モーセの律法にも取り入れられてます。

 

創世記4章22節

ツィラもまたトバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。

新改訳より

 

ここも、青銅と鉄のあらゆる用具とあるため、刃物も作られていたのではないか、と思います。

 

聖書の創世記の時から、刃物が使われていた、作られていた、ということですね。

 

創世記3章24節

こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いたて回る炎の剣を置かれた。

新改訳

 

ここでは、物質とは違う、高次元の刃物があることが分かります。

それを神ご自身が置かれてます。

 

もし、神が刃物を嫌っていたとしたら、カインのささげ物の方に目を留められたでしょう。

また、動物の血を流したいけにえをささげるなど、モーセの律法にも取り入れなかったでしょう。

まして、いのちの木への道を守るためとは言え、神ご自身から炎の剣も置かないでしょう。

 

以上のことから、聖書の神ヤハウェは、刃物を嫌ってはおられない、むしろ好ましく思われている、と考えられます。

 

ただし、刃物を悪いことに使うのは、神のご意志、み旨に逸れることでしょう。

善いことに使う刃物として、使う、考える、見ることが大切です。