まず内面を飾る
テモテへの手紙一2章9、10節
同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。
新改訳より
ペテロの手紙一3章3、4節
あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものではなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。
新改訳より
不完全な人間は、つい外見を重視してしまうところがあります。
極端な例ですが、見た目が良いりんごと見た目が悪いりんご、お店で同じ値段で見かけたら、どちらを買おうと思うでしょうか。
見た目が良いりんごの方を買おうとなると思います。
そもそも見た目が悪いりんごは、お店に並ぶことさえ出来ないでしょう。
最悪の場合は、出荷出来ずに処分になるでしょう。食べられるのに、です。
同じ環境下で、平等に大切に育てられたのに、見た目の良し悪しで、その後が全く変わってしまうのです。
見た目が良いりんごの方が美味しそうに見えますが、中には見た目が悪いりんごの方が美味しいこともあります。
( 例えでりんごにしましたが、その他の果物や野菜なども同じことが言えます。)
話が逸れましたが、このように不完全な人間は外見で中身も判断してしまうところがあります。
中には外見通りだった、ということもありますが、全てではないと思われます。
外見=目に見えることを重視して判断するのではなく、目に見えない心、霊的な物、ヤハウェのご意志や御旨を知り、理解して行動することを飾りとしなさい、と考えられそうです。